キョウアイ


その日は午後から雨だった。
普通なら雨でもなにかしらやることはあるのだが、なぜかその日の職務はお開きになった。早く休めるということなので別に悪くはないのだが、雨は良いことだけをもたらしたわけではない。ノクスは突然の雨で濡れた衣装が催す不快感から早く解放されたくて、乱暴に自室のドアを開けると足早に部屋に入った。

――早く着替えたい。

テーブルの上に着替えが用意されているのを確認すると濡れた上着を椅子の背に向けて抛る。しかし、鈍い音がして見事に床の上に着地した。やれやれと拾い上げ、自らの手で椅子の背にかける。ふと横を向くとすぐ傍の姿見にノクスの視線は吸い寄せられた。正しくは鏡に映った自分の姿に、だ。


――これは……。


雨は止む様子も無く、先ほどから窓を叩く音が広い室内に響いている。が、別に雨音が気になるわけではない。でも何かがいつもとは違う。昼間から部屋にいるせいだろうか……。気づいたときにはノクスは鏡にむかって手を伸ばしていたのだった。


***


まずは人差し指をぴん、と伸ばして、くっつける。続いて親指、中指、薬指、小指――冷たい。姉の柔らかな指先とは大違いだ。しかし何故だか指先を鏡の面の冷たさに犯される感覚に酔わされたノクスは夢中になって手の平も同じようにぴたりと触れさせる。ノクス自身気づいていないが、彼の鼓動はいつもよりも少し早い。幽かに震える手をノクスはもう片方の手で押さえつけた。

右手だけが鏡の中の人物と触れ合っている。

ノクスは、じっとその顔を見つめ、ごくりと喉を鳴らすと左手をみつあみの紐の部分にかけ、一気に引き抜く。自由になった髪を幾分か後ろに流すと、再び鏡の中の自分に目を向けた。


――姉さんが、僕の服を着ている。


しかしその錯覚は一瞬だけ。すぐに乾燥した唇が目について我にかえる。それに、何かが足りない。ノクスはもう一度鏡の中の自分を見るとすぐに髪に手を触れた。耳の上辺りを撫でる。ぐるりと部屋を見回すと、昨夜自分がマタンの髪から取り去ったダリアがベッドの陰に落ちていた。


――あれを髪に付ければ……


逸る気持ちは堰を切って、ノクスを動かす――



***


花をつけた後、先程の失敗を省みてマタンがいつも使っている口紅で唇を彩り、もう一度右手だけを鏡の中の人物と繋ぎ、その顔を見据える。


今度は完璧だった。


目の前には、「ノクス」の服を着た「マタン」がいる。
ノクスは何かに急かされるように鏡から手を離すと、スカーフを解き、床に放る。そして手早くシャツのボタンを外すと椅子にかけた上着に被せるように投げ捨てた。

修業で磨き上げられた筋肉のついた腕、鎖骨まわりも美しく胸板は滑らかであるが引き締まっていることがうかがえる。鏡は一寸たりとも間違えることなくその剥き出しの素肌を全て映していた。それを虚ろな目で見ると、吸い寄せられるように鏡に映った胸板に触れた。

――冷たいね。

手から伝わる冷たさにはまだ慣れないが、ノクスは鏡の中の胸板を隠すように両手を広げ、向かい合わせの顔を舐めるように見つめると、今度は静かに目を閉じた。
昨夜の、いや、これまで交わした愛の数だけ見てきた姉の艶やかで美しい白い肌を脳裏に、絹のような肌触りをその手に思い描く。それだけに留まらず、マタンの柔らかな乳房の触感をもその手の平は思い出す。柔らかいのに、今触ってるのは、硬くて冷たい。
しばらくして目を開いて鏡の中の相手の目を見ても、ノクスは姉と戯れているまま、夢うつつの状態からが抜け出せない。
そのまま鏡の中の唇を盗もうと顔を近づけ、視線を下にずらす。すると紅いさくらんぼだけが目に焼きつくように飛び込んでくる。

――姉さんのくちびる……。

ノクスがそこに見たものは紛れもない姉の唇だった。色も、形も、口紅の香りも全て同じ――おなじ、という言葉が脳内に駆け回る様に響く。
それが合図だった。ノクスは欲望を爆発させるように「マタン」の唇に自分のそれを押し当てる。しかしその唇は甘くもやわらかくもなく、冷たい。ただ冷たいだけ。ところがノクスは止める気配も見せず、夢中で鏡の中の姉の唇を求める。

――姉さんの顔が見たい。姉さんに触れたい。

心でいくら強く願っても、その願いが叶うことはない。時間という檻、城という籠、格式という箱……幾重にも被せられた鳥かごに飼われている姉のことを思うときりりと胸が痛む。そんな心の痛みに蓋をするように先ほどからの口づけで温まった唇をまた貪る。

――姉さん……。

上気した頬を撫でるように触れる。
すっかり赤く熟れているのに、やはり冷たい。
おまけに頬に貼り付いている髪が湯上りのマタンの肢体を思い起こさせ、ノクスの頬を一層赤く染める。それにつられるように鼓動も気持ちも高まっていく。頬に、唇に、胸に、耳に、髪に、口づける。自分の手や唇を離して少しすればもうそこに温もりをかんじることはない。しかし、そこには姉の姿が見える。常に温かく、優しく自分を受け入れてくれる姉の姿が。

「僕はおかしい?」

「マタン」に問いかける。
しかし答えはない。今自分がしているように、ただじっと自分を見つめ返している。

――姉さんのことがどうしようもないくらい好きなだけだ。


そしてもう一度口づけると、そのまま額をくっつけ目を閉じる。


――おかしくないよね、姉さん?


鏡の中のマタンは微笑んだ。




*****

あとがき


とにかく難産でした。
書く→しばらく放置→読む返す→書く……というスパイラル。
もうちょっとボリューム欲しかったですが、とりあえず自分への課題はクリアしたのでいいということにしておきます。


ええと、双子の鏡ネタはよくあると思いますが、これちょっと変態な気が…。
というかそもそも私の脳内で近親相姦が当たり前のように行われてる時点でもういろいろとダメな気がorz
でもノクマタ萌えるからしょうがないのです。。。


キョウアイの「キョウ」には「鏡」と「狂」はもちろん他の「キョウ」と読む漢字もかけてます。文章中に意外とあるかもしれません。無理のない程度に忍び込ませました。

この話しのように相手がいない時にその人のことを考えるっていうのは綺麗だと思います、場面として。
なんというか、相手のことをひたすら考えるその一途さでしょうか。すごくいいと思います。


ご拝読ありがとうございました!

(09/05/29)